OLD BOYS CLUBについて
このページは桐蔭学園高校ラグビー部スタッフ福本氏(26期OB)のご協力により新設されたOBのための専用ページです。OBへの連絡事項、現役への応援メッセージ、OB間の情報交換などの場として活用されることを期待しております。尚、連絡事項や応援メッセージ等はトップページ左にある『メール(MAIL)』にて連絡を下さい。
OB会長 平賀
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【佐々木メモリアル】
[2008/03/21 12:22:35]

佐々木メモリアル
3月20日に開催されました「佐々木メモリアル春のラグビーフェスティバル」は、悪天候の中、例年通り現役の卒部試合が行われました。一方OB戦は、ヤル気満々、準備万端、気合十分で当日を迎えたOBもおられたようですが? 皆さん明日のある身・・・早々中止することに相成りました。

大学の交流会館では、OB会より故佐々木先生(初代ラグビー部監督)の奥さまに記念品をお贈りし、引き続き今年めでたく還暦を迎えられた一期生の大西・吉垣両先輩に赤い特注ラグビーパンツを贈呈いたしました。詳細は、【赤パン贈呈式】をご覧下さい。

その後、場所を変えて「メモリアルアカデミウム」の前で記念写真を撮った後、同施設内2階にある「ポロニア」において懇親会が行われ、皆さん久し振りの再開に終始笑顔が絶えない時間を送られていました。

今年の「佐々木メモリアル」はご多忙の中、生憎の悪天候にも関わらず、総勢35名のOBがお集まり下さり、厚くお礼申し上げます。 来年度さらに現役の支援、OB間の親睦を深めていけるよう努めてまいりますので、OBの皆さんには、変わらぬご理解・ご協力をお願いいたします。

OB会長 平賀
【赤パン贈呈】
[2008/03/11 10:31:16]

赤パン贈呈
大学の交流会館で、今年めでたく還暦を迎えられた一期生の大西・吉垣両先輩に赤いチャンチャンコならぬ「One For Me, All For Me」とお名前を刺しゅうした色鮮やかな赤い特注ラグビーパンツを贈呈いたしました。実際に赤パンを履いていただき、現役時代を彷彿させる凛々しい表情が伺えますが、周囲は爆笑の渦!!(とてもお似合いでしたよ!)。
尚、大西・吉垣両先輩は、5分間だけでもOB戦に出場する決意を固めていたそうです。
【OB列伝:中学ラグビー部誕生実話】
[2008/03/10 09:00:17]

OB列伝:中学ラグビー部誕生実話
中学2期生初代ラグビー部主将、高校では7期主将服部裕FBです(現体型見てFWと勘違いしないように)。






大変遅くなりましたが42期チームのみなさん花園ベスト4という素晴らしい成績おめでとうございます。そして感動をありがとう。今は入学試験も終わりホットされていることでしょうね。こちらでもいい成績だといいですね。43期チームのみなさんは好スタートのようですね。今年も楽しみにしています。中学ラグビー部の後輩諸君お祝いが遅くなりましたが、中学東日本大会セミファイナリストおめでとうございます。また今年は創部40周年!おめでとうございます。

自称生き字引さん、中高古参OBさんの懐かしい中学ラグビー部創部当時の話に思わずしゃしゃり出てきました。先ず桐蔭中学ラグビー部草創期暁話(と言っても昔のこと由更に訂正が必要かも知れません笑)

中学一年生のある土曜日の下校時、桐蔭の坂を下ってバス停に向かって歩いていると担任の佐々木先生が運転するサニーが脇に停まり、「今からラグビーの試合観に行くか?」と声をかけられました。後部座席には同級の尚友寮生Y君(途中転校されました)らが乗っていて「行こう!行こう!」と誘われ観に行くことに。連れて行かれたのは東海大相模高校グラウンドでした。対戦相手は覚えていませんが公式戦です。初めて目にする桐蔭のユニフォームは紺地に胸に白の一本線、ウールの厚手ユニフォーム(着るとチクチク痒くなりました)で膝丈の白膝丈パンツ?今流行りの腰パン?に白紺二色のウール紐ベルト、紺に白の折り返しストッキングというまさにTV番組「青春とはなんだ!」スタイル。しかもメンバーは二期生の金子さんが主将、快速ウイング三須さん、ハーフは三期生山本哲先輩、センターに山上先輩、フランカーには四期生桐蔭初の国体選抜選手あの伝説的な木間登さんというすごく濃いメンバーのチームでしたから初めて観るラグビーの試合とはいえもの凄い雰囲気で震えました!

なんといっても中学一年生にとっては雲の上の存在。普段学校でみかける先輩たちの学生服姿とは全くの別人がそこにありました!普段先輩たちの学生ズボンは、片方の足に中学生がすっぽり入ってしまう袴みたいな学生ズボンを履いている人たちでしたから(笑)それが真剣で激しいタックルを目の前で見せてくれるのです。観戦後Y君らと興奮し「これを観て燃えなきゃ男じゃない!!」が創部の原動力です。

当初佐々木先生の話で最初は15人集めればいいのかと思っていたら、中学の部活を発足承認する生徒会の手続き上30名?だったかの署名が必要となり・・・。コレが結構大変な作業でした。なにしろ当時中学一期生30名ニ期生90名総勢約120名の中から30人の署名集めは大変でした。その当時中学の運動部はバスケットボール、柔道、剣道の三つで、大半の人間がどれかに所属していましたのでなおさらです。結局必要署名数を揃えられたのは三期生が入学した直後?だったと思います。

創部当初の主だったメンバーは、中学一期生の現OB会永代?幹事の大川清貴さん、大川さんが高校チームに合流してしまい直ぐお辞めになった本場イギリスでラグビーを経験されてた永田さんの2名、主力になった二期生に五十嵐裕平、井上徹、鈴木隆、森慎互、白井伸一、西川昌幸、若狭正則、栗林和男、門田和気、高専ラグビー部に進んだ小峰幸雄、高校ではラグビーをしなかった鈴木松太郎、大津一保、加藤高志、青木栄祥や途中転校してしまったけど初めての試合を一緒に観に行ったY君 などなど、当時のバスケット部から大量に引き抜き凋落の原因にもなりました。三期生には田口勉、川口明、四本晋一、山口誠、慶応義塾高校ラグビー部の前監督桂川君 などもいました。(抜けてるメンバーがいたら教えてくださいね)

本来なら初代キャプテンは一期生の大川さんがなってしかるべきでしたが中学三年生が二人だけで、しかも片方はいきなり高校生チームに合流、スクラムハーフのダイビングパスの猛特訓開始でしたので、チームを引っ張るどころではありませんでした。そこで井戸を掘ったものとして二年の私服部裕が初代キャプテンをやることになりました。この大川さんのダイビングパス!たしか県決勝?対慶應戦の三ツ沢で組んだスクラムより高く飛びスタンドから歓声が沸いたあのダイビングパスです。今ではこんなダイビングパス見かけませんね。対戦相手のスクラムハーフは上田昭夫さんだったと記憶しています。

中学草創期の練習内容は当時怪我で長期間練習を休んでらした高校四期生、OB会初代会長の村上冬樹さん、渡辺修さんのお二人にタックルとセービング、クイックパス、スクラム姿勢の基本を徹底的に教えていただいたきました。当時のラグビーグランド、真冬はスパイクのポイントの跡がつくかどうかという硬さ。セービングの練習で作った傷はビフテキと呼ばれ冬の間中治ることなく、学生ズボンに傷口が張り付いて往生しました。グラウンド後ろ側にあった高さ15mぐらいの土手に向かってパントキックの練習もよくしていました。フォワード・バックスに関係なくプールサイドでのスクラム姿勢の練習はきついものがありました。高校一期生の某先輩が練習後延々と懇切丁寧に?フッカーの五十嵐君にスクラム姿勢を指導されていたのも忘れられない光景です。

秩父宮で東京ラグビースクールと初めての対外試合をしたのが1968年10月10日です。記念すべき中学ラグビー部初トライはセンターの西川君!ほとんどの人間がどういうトライだったか舞い上がってたので記憶していません。創部とほぼ同時に協会に加盟申請したはずなのに公式戦には加えてもらえませんでした。そこで東京ラグビースクールの監督さんのご好意により急遽組んでいただいた練習試合でした。その後は麻布中学と桐蔭のグランドでの練習試合。たしか完勝しました。防衛大学のグランドで海洋少年学校?チームとも練習試合した記憶があります。これらが初代中学2期チームの対外試合の全てでした。また高校の練習試合に中学3年生が何人か混ぜてもらい試合させてもらうこともありました。僕も浅野高校や新城高校との練習試合にウイングとして出させてもらった覚えがあります。5期6期の高校一二年生チーム、高専一二年生チームとはよく練習試合をしていただきもっぱら勝たせてもらった思い出があります(笑)